OpenAIの数学的発見に功績論争、NYU数学者がAnthropic研究者との共同研究巡り抗議
OpenAIが主張するNavier-Stokes方程式関連の内部証明を巡り、NYUのTristan Buckmaster氏が功績の横取りを主張。Anthropic研究者との共著権を巡る対立が表面化した。
ミレニアム賞問題の一つNavier-Stokes方程式を巡り、AI研究の功績を巡る対立が表面化した。NYU(ニューヨーク大学)の数学者Tristan Buckmaster氏は、Anthropic所属の共同研究者Levent Alpöge氏と進めていた流体力学の研究成果について、OpenAIが情報を得た直後に類似の内部証明を主張し始めたと訴えている。OpenAI側のSebastien Bubeck氏は「誤りで扇動的な主張」と真っ向から反論しており、両社の研究者を巻き込む論争に発展した。
何が起きたか
Buckmaster氏とAlpöge氏は、外力を伴うEuler方程式における有限時間爆発解の構成に関する112ページのプレプリントと、証明支援システムLeanを用いた検証プロジェクトを公開した。この成果はBoussinesq方程式や多孔質媒質(IPM)方程式にも関連する重要な進展だ。
Buckmaster氏によると、9月3日に自身の研究情報がOpenAI側に伝わったことを把握し、9月6日にOpenAIのBubeck氏と面会した。その場でBubeck氏は、OpenAIの内部モデルが強制項付きNavier-Stokes方程式について爆発的解を導いたと説明したという。Buckmaster氏は「forced(強制)という言葉を聞いた瞬間、明確な警告信号だと感じた」と振り返っており、自分たちの手法や着想が転用された疑いを持ったと主張している。
対立の核心
Buckmaster氏の主張では、OpenAIは「Euler方程式の結果を先に公表し、翌日にOpenAIがNavier-Stokes方程式の結果を公表する」案と、「Buckmaster氏自身が論文を書き、OpenAIの内部モデルが証明を生成したことを謝辞で明記する」案の2つを提示したという。加えて、Alpöge氏がAnthropic所属であることを理由に共著者から外すようBubeck氏が2度求めたとも訴えている。
Anthropic側は2025年9月19日付のメールを根拠に、Alpöge氏との協力は年単位の長期的な取り組みだったと主張する。一方、OpenAIのNoam Brown氏はこれを「週単位の共同作業」と表現し、Anthropicのエンジニアリング責任者Sholto Douglas氏がこの表現を皮肉交じりに引用して応酬するなど、対立は研究者間のSNS上のやり取りにも波及している。Bubeck氏は虚偽の主張が流布しているとしたうえで、詳細な反論を追って発表すると予告した。
証明の実態はまだ不透明
現時点で公開・検証されているのは、外力を伴うEuler方程式の特異点構成に関するBuckmaster氏とAlpöge氏の論文のみだ。OpenAIが主張する内部モデルによるNavier-Stokes方程式の証明は公開されておらず、外部の数学者による検証も行われていない。第三者による技術的検証によれば、粘性によるエネルギー損失が特異点形成のメカニズムを打ち消す可能性があり、Euler方程式での結果をそのままNavier-Stokes方程式に拡張することには技術的な壁が残るとされる。
業界への影響
今回の一件は、AI企業が数学の未解決問題で成果を競い合う中で、学術的な功績表示や共著者の扱いを巡るルールが追いついていない実態を浮き彫りにした。OpenAIは8月に内部モデル「Astra」による10件の数学的成果を発表し、Anthropicも未発表モデルによるRiemann予想の進展を公表するなど、両社は数学研究の分野で成果競争を繰り広げてきた。今回のような功績表示を巡る対立が繰り返されれば、外部の学術研究者がAI企業との共同研究に慎重になる可能性があり、AI企業と学術界の協力関係のあり方が改めて問われている。
アップデート:OpenAIが正式に証明を公開、対立の詳細も明らかに
OpenAIは公式ブログで、Navier-Stokes方程式に関する内部モデルの証明をwriteupと証明支援システムLeanによる形式証明とともに正式に公開した。証明は約100ページに及び、OpenAIによると解答までに約3000億トークン(現在のレート換算で225万ドル相当)の計算資源を投入し、9月1日から約1週間かけて到達したという。
Buckmaster氏は新たに、Bubeck氏から「なぜキャリアを台無しにしたいのか(Why would you ruin your career?)」という趣旨の発言を受けたと明らかにした。共著者からAlpöge氏を外すよう2度求められ拒否した際のやり取りだとしている。
OpenAI側は、Buckmaster氏とAlpöge氏の未公開の研究内容には公開前にアクセスしていないと説明する一方、脱識別化されたデータが自社モデルの学習データに含まれていた可能性は否定できないと認めた。これを受けて、Buckmaster氏が過去にOpenAIのコーディング支援ツールCodexを利用した際の操作データが、意図せず学習に活用された可能性があるとの新たな懸念も浮上している。
アップデート:Buckmaster氏が「学問的不正」と明言、テレンス・タオ氏も警鐘
Buckmaster氏は主張をさらに強め、OpenAIの行為を「絶対的な学問的不正(outright academic fraud)」だと明言した。一方、OpenAIのSam Altman CEOは、自社の対応について「誠実さと寛大さを持って臨んだ」と反論しており、両者の主張は歩み寄る気配を見せていない。
著名数学者のテレンス・タオ氏もこの論争に言及し、強い懸念を示した。タオ氏は、単なる噂話だけで大手AI企業が莫大な計算資源を投じて研究者の未発表の成果を先回りして横取りする動機が生まれかねないと指摘し、数世紀続いてきた「オープンサイエンスの伝統が逆転しかねない」と警鐘を鳴らした。
OpenAIとAnthropicはこの数カ月、数学の未解決問題で相次いで成果を発表し、AI企業同士の競争が学術界の慣行と衝突する構図が浮き彫りになっている。今回のようにAI企業が未発表の研究データに触れる機会自体が疑念を招く事例が続けば、数学者や研究者がAI企業との共同研究や情報共有そのものに慎重になり、学術界とAI企業の信頼関係に長期的な影を落とす可能性がある。
アップデート:対立が数学界全体に拡大、CalTechはスポンサー撤退
対立は個々の研究者間の応酬にとどまらず、数学界全体を巻き込む構図へと拡大している。NYUのBuckmaster氏は、Alpöge氏をAnthropic所属を理由に共著者から外すよう圧力をかけられたとの主張を改めて強調しており、OpenAIは大学主催イベントへのスポンサーシップを取り下げたことも明らかになった。あわせて、Buckmaster氏が過去にOpenAIのコーディング支援ツールCodexを利用した際の操作データが、本人の意図とは無関係に他モデルの開発に転用された可能性があるとの懸念も再燃している。
こうした状況を受け、フィールズ賞受賞者を含む数学者25人が連名でOpenAIに対する公開状を発表し、AI企業が研究成果の発表を急ぐあまり適切な査読や引用の慣行を軽視していると警告した。今回の対立は、AI企業同士の数学研究競争が学術分野全体の信頼関係やソフトウェア工学など他分野の研究慣行にも波及しかねない事例として注目されている。
アップデート:クレイ数学研究所が「解決」を認める公式声明、正式レビューへ
ナビエ・ストークス方程式の問題を所管するクレイ数学研究所(CMI)が、問題は「明らかに解決されたようだ」との公式声明を出した。100万ドルの懸賞金が懸けられた7つのミレニアム懸賞問題の一つが解決に近づいたとする初の公的な認定であり、CMIは「このような突破口がどのように成立したのか、人類の理解が深まることを期待している」とコメントした。
CMIは解決案について正式なレビュープロセスを開始したことも明らかにした。同研究所は「このプロセスは意図的にゆっくり進める方針だが、進捗があれば随時アップデートを発表する」としており、認定までの具体的な期限は示していない。どの陣営の証明が審査対象になっているかについてCMIは明言していないが、Buckmaster氏側の研究成果とOpenAIが主張する内部モデルによる証明の両方が今回の対立の発端になっている。
功績を巡る対立が数学界を揺るがすなかで公的機関が公式に動いたことは、AI企業が主張する数学的成果の真偽を第三者が検証する枠組みが機能し始めたことを示す。一方で、証明の正当性そのものとは別に、Buckmaster氏とAlpöge氏の未発表研究へのアクセス経緯や共著者の扱いを巡る論争は、CMIの審査結果とは独立して続く見通しだ。